「野菜を1日350g食べましょう」とかさ、言葉で言うのは簡単だけど、
実際に毎日の食卓でやろうとすると無理ゲーじゃない?
生野菜のサラダなんて、
山盛り食べたところで、顎が疲れるだけで大して量はいかない。
かといって、野菜炒めや煮物を何品も作るとなると、
切る手間も増えるし、鍋やフライパンの洗い物も山積み。
おまけに野菜の価格もバカ高だし、
その割に、元気のない小ぶり感。
買った以上、傷ませずに使い切りたいっていうプレッシャーも受けるし。
健康のため、野菜を食べたい理屈は痛いほど分かるけど、
日々の「調理コスト」と「管理コスト」を考えると、どこかで心が折れるんだよね。
具材がかさばる問題を「加熱と一杯」で解決する
野菜をたくさん食べられない最大の理由は、
あの「かさばり」だよね。
生の状態だとボウルいっぱいのキャベツも、熱を通せば一気に縮む。
これは料理の基本だけど、
問題はその縮ませた野菜をどうやって無駄なく口に運ぶか、なんだよ。
そこで、2026年10月16日に新星出版社から発売された、倉橋利江さんの新刊「もっと 野菜はスープとみそ汁でとればいい」(本体1400円+税、A5判・128ページ)。
2020年9月に出た第1弾の『野菜はスープとみそ汁でとればいい』が18万部超のロングセラーになっているから、知っている人もいるかもね。
この本の何が合理的かって、掲載されている計91点のレシピが「一杯で200~300gの野菜がとれるスープとみそ汁」という点に尽きる。
副菜を何品も並べて、ちまちま食べるんじゃなくて、
大きめのお椀やマグカップ一杯に全部押し込んじゃうわけ。
たとえば「くし形キャベツとベーコンのミルフィーユスープ」や「せん切りキャベツのおかかみそ汁」みたいに、切り方を変えてかさを減らし、スープという一つの器の中に逃げ場なく閉じ込める。
おかずをいくつも作る手間を省いて、一杯で完結させる構造自体が、忙しい私たちの生活空間にすごくフィットしていると思わない?
「だしをとる手間」を省く「うまみ食材」の設計
でもさ、いくら野菜が縮むからって、
ただお湯で煮ただけの野菜汁なんて味気なくて飲めたもんじゃない。
かといって、昆布や煮干しから丁寧に出汁をとるなんて、
そんな丁寧な暮らしを毎日続ける体力は私にはないんだよね。
今回の新刊の面白いポイントは、まさにそこにある。
具材そのものがだしになる「うまみ食材」と、
そのうまみを引き出すコツをセットで紹介しているところなんだよね。
わざわざ出汁を別に用意しなくても、
煮込んでいるうちに具材から勝手にいい味が出てくる仕組みになっている。
これって、調理の工程を物理的に一つ削っているわけじゃない?
「くし形玉ねぎとベーコンの焼きスープ」や「玉ねぎとささがきごぼうの腸活みそ汁」みたいに、いも類やきのこ類も含めた食材の組み合わせで、スープ全体の味のベースを構築してしまう。
野菜の量を増やすことと、味のベースを作ることを別々に考えるんじゃなくて、同時に処理する。
この「1つのアプローチで2つの課題を消す」感じが、職人的というか、
ものすごく理にかなっているんだよね。
食材を使い切るリスク管理と、シンプルなキッチン
野菜を余らせて冷蔵庫の奥でしなしなにさせるのって、
地味に精神的ダメージが大きくない?
価格の変動も気になる時期だし、買った野菜は残さずきれいに使い切りたいのが本音。
具材をドカンと使うスープやみそ汁の利点は、
半端に残った野菜の消費先としても優秀なこと。
カットした玉ねぎやキャベツ、ごぼうなんかも、スープという共通のフォーマットに放り込んでしまえば、ちゃんと一品として成立する。
調味料を何種類も合わせたり、工程ごとに鍋を変えたりする必要もない。
フライパンや鍋ひとつで完結して、洗い物も最小限。
食材の廃棄リスクを下げつつ、後片付けのストレスも減らせる。
「野菜を食べなきゃ」という漠然とした義務感を、気合や根性で解決しようとすると絶対に続かない。
必要なのは、献立の組み立てや調理のプロセスそのものをスリム化するシステムなんだよね。
「おっさん女子」の流儀
健康のために無理して生野菜をかじったり、
何品もおかずを作ってキッチンで疲弊したりするのは、
私たちのスタイルじゃない。
一杯のお椀の中に、必要な野菜も、味の決め手になるうまみも全部まとめちゃう。
出汁をとる手間すら具材に肩代わりさせ、調理も後片付けも最小限のコストで済ませる。
栄養はしっかり確保しつつ、自分の時間と体力はちゃっかり温存する。
それが、合理的でサボり上手な私たちの選択(スタイル)だよ。



